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吃りというのは言いたいことがいっぱいあるということで、想像力に発音が追いつかない。 発音が追いつかなくとも、でもぼくはしゃべっている
ふつう、音の振幅は横に流されやすいのですが、ここではそれが垂直に動いている。 雅楽はいっさいの可測的な時間を阻み、定量的な試みのいっさいを拒んでいた
吃りだったからそんなことを言っていると思われるかもしれませんが、 それもありますが、それよりも、どんな石にも樹にも、波にも草にも発音させたいのです。 ぼくはそれを耳を澄まして聴きたいだけなのです。 ぼくの音楽があるのではなく、音楽のようなぼくがそこにいれば、それでいいのです。
<音>が肉体にならずに観念の所有となるのは音楽の衰弱
図式的なおきてにくみしかれてしまった音楽のちゃちな法則から<音>を解き放って、呼吸の通うようなほんとうの運動を<音>に持たせたい。 音楽の本来あるべき姿は、現実のように観念的な内部表白だけにとどまるものではなく、自然との深いかかわりによって優美に、時には残酷になされるのだと思う。
生きることに自然な自然さというもを尊びたい。それを〈自然〉と呼びたい。 これは奥の細道に遁れるような行為とは大きく矛盾するのである。
自然な行為というのは現実との交渉ということでしかない。 芸術は現実との沸騰的な交渉ののちにうまれるものだ
音を組立て構築するという仕事にはさして興味をもたない。私は余分を削って確かな一つの音に到りたいと思う
私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。
発音する音楽
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