president.jp/articles/-/69845
1 Users
0 Comments
15 Highlights
0 Notes
Tags
Top Highlights
仕事は「ゼロから自分で生み出すもの」から「AIが出した答えを検討し、練り上げるもの」へと変わっていきます。
「学び」のかたちも、「自分でゼロから学ぶもの」から「ジェネレーティブAIが提案したデータや知識を活用しながら、課題や問いに答えていくもの」へと変わっていくでしょう。
翻訳はChatGPTに任せればよい
もし、「こうしたツールを使ってはいけない。まず基本的な漢字の知識を身につけるべし」となったら、途方もない時間を漢字の勉強に費やさなくてはいけません。しかし時間は有限ですから、「漢字を勉強する時間」と「仕事をしたり、考えたりする時間」がトレードオフになってしまいます。
苦手とする漢字はAIに助けてもらって、自分が得意なこと、たとえばテクノロジーに関連した研究、投資、教育などに集中できたほうがいい。
しかし、もし日本語ネイティブでない人が、日本の書に魅せられて「書家になりたい」と思い立ったら、たとえ膨大な時間がかかろうとも漢字を勉強しなくてはいけないでしょう。
その他、僕が最近習っている茶道の作法や、インストラクターを務めているスキューバダイビングなどは、自分の体で体得することに意味があるものです。しかし、世の中に存在する学びのすべてが自分で体得する必要があるわけではありません。
ならば、学びに関する様々な「作業」にツールを用いるのは非常に有効だと僕は思います。
従来は自分でゼロから学ぶしかなかったところへ、「ジェネレーティブAIを使う」という選択肢が加わった。この点が重要で、特に社会人の学び直しには大変革をもたらすだろうというのが僕の見方なのです。
方、ニューヨーク市では2023年1月には、学校の端末からChatGPTにアクセスすることはできなくなりました。実質上の禁止措置です。
ChatGPTを使うか否かは、個人の選択であると同時に、学校教育のことを考えれば、社会の選択であるともいえます。
あまりにも個人の能力に共通項がなさすぎると、社会分断の元になるという見方もありますが、ニューロダイバーシティ(脳や神経の多様性による個性を尊重し、それらを社会のなかで活かすことが大切だという考え方)の観点からいえば、個人的には、何を体得し、何をAIに任せるのかは十人十色でいいと思います。
思えば、インターネットや検索エンジンが普及したころにも、これを勉強に用いることの是非が議論の的になっていました。
しかし世の中の大半の問題には、実は「不変・不動の正解」がありません。
だとしたら、子どもであろうと大人であろうと、絶対不変の正解がないなかで「自分なりの答え」を探すために、さまようという経験も「生きる力」を育むうえでは必要でしょう。
Glasp is a social web highlighter that people can highlight and organize quotes and thoughts from the web, and access other like-minded people’s learning.